辰野登恵子 オン・ペーパーズ
2018年11月14日から2019年1月20日まで
埼玉県立近代美術館
展示内容に興味が湧いて見に行ったのではなく、昼食に北浦和駅前のバーガーキングでワッパーが食べたくなったので、そこまで行ったついでに見てきました。
自画像が1点ありましたが、残りは全て抽象画です。壁の所々に辰野登恵子の言葉が掲示されていて、それを読みつつ作品を眺めていくとなかなか良い感じです。というか言葉がないと退屈するかも知れません。特に前半の罫線と方眼の作品群は。
その言葉を2つ3つ引用してみます。(会場の入口前にはこの言葉だけが印字されたパンフレットが置いてあります。)
-筆で描くときの「もたもた感」がすごくいやだった。とにかく版画という手段、特に写真製版というのは、全面的というわけじゃないけど、ある程度はその手垢のようなものを消すことができるから。-
展示会のパンフレットを読むと、辰野登恵子が東京芸術大学に入学した時代(1960年代後半)は「キャンバスに筆で描くことが完全に古いと思われていた」時代だったそうです。アンディ・ウォーホルとかの時代ですね。
-ノートの横線や、原稿用紙のます目や、網点や、そういう整然と並んでいるものを、じっと見ているのが大好きで。そういう不毛なところに、もし、何かを一点落としたら、ぜんぜん違ったものに変身するでしょ。点ひとつで、新しい空間が出現する。-
残念ながらこの感覚は全然わかりません。
-イメージは見えている世界からピックアップされてくるものもあれば、心の闇の中から生まれるものもあります。前者は視覚を通して感知するものなので、ある程度パースペクティブに沿った、形あるものですが、後者は無意識の世界から引き出されるので、相当観念的なものです。-
この言葉は作品群をずっと眺めていくと何となく解ります。あと、これは以前に草間彌生の展覧会でも感じたのですが、ときおり顕微鏡で細胞や分子などを眺めているかのような気分になりました。上記の「無意識の世界」とはすなわち、人間をかたち造っている無数の細胞や分子が、無意識裡に自らの自画像を描かせているのかも知れん、などとうっかり口にすると強制入院でもさせられそうな妄想が湧きあがってきました。
展示品の撮影は禁止ですが、先日横浜美術館のコレクション展で撮ったものがあったので貼っておきます。でもこの1点だけ見ても上記のような感覚にはならないと思います。